
アナタのために雛人形のサイト
お母さんにもよし子にも気にいったお雛さまはなかった。
けれども、お母さんは、デパートの食堂で一休みしたときに、こんなふうにいったのだ。
「……おかあさんが、おひなさまをだいじにした気もち、おかあさんが、おひなさまを見て、いろいろ感じたこと、それが、みんな、きょう、おかあさんを助けてくれてると思うの。
おかあさんのつくる服は、みんなが喜んで、お店で買うのより、ずっとたくさん、お金をはらってくださる。そして、よし子は学校へいってる。どう?こういうこと、よし子にわかる?」
そういわれて、よし子はお母さんのいっしょうけんめいな気もちがわかる。
お母さんがなぜ、お雛さまにこだわるのか、中途半端なところで「これでいいわ」と妥協しないわけがお母さんの真剣な語調で通じるのだ。
お母さんも本当の気持ちをいった。
十歳のよし子にはもうわかると思って。
その後、よし子にすすめられて行ったクラス会でお母さんは折り紙で折ったお雛さまを教えてもらってくる。
お母さんは三月三日までよし子に内緒で折り紙のお雛さまを作りつづける。
そして、よし子にもう一つのお雛さまをお母さんは用意していたのだった。
それを見るや、よし子は喜んで、これらのお雛さまを自分のものとした。
やっと、よし子は「私のお雛さま」を持つことができた。
お母さんの手作りのと、もう一つのお雛さまと。
こうして、母と娘は一つの壁を乗り越えた。
お母さんはもう、自分の雛飾りにこだわる思いを弱め、よし子は自分の意見を主張できるようになった。
こうした反発や葛藤、そして和解が重なって、母と娘の関係は作られていくのだろう。
母から娘へひきつがれたのは、お雛さまはこれほどまでに望まれ、大事にいつくしむものであるという思いだ。
私も母に「これは、おじいさんがあなたのために買ってくれたお内裏さま、これは、おばさんがくれた藤娘」と、一つ一つの由来を聞かせてくれたものだ。
それは私か母から教えられひきついだお雛さまへの思いである。
幼い頃、お雛さまを飾る日が、一年でいちばん華やいだ日だった。
前の作品のところでも書いたが、まず、天袋からお雛さまの入った箱を全部取り出し部屋中に広げる。
箱を開けて、「今年もお会いしましたね」と母がお雛さまの顔をくるんだ薄紙をていねいにはがしていく。
そして、赤い布をかけた段飾りをしつらえる。
子どもの私はなんの役にも立かないけれど、母のやることをわくわくしながら見ていた。
ああ、なんて懐かしい日だろう。
そのことを思い出させてくれたのは、『ひなのころ』という本である。
これは、少女が成長していく物語。
四歳から十七歳までが書かれている。
主人公の風美には弟がいるのだが、病弱で、母親の関心はそちらに向いている。
おばあちゃんが風美の世話をしてくれるのだが、何かわけあってか、風美にきつくあたる。
なぜそんなに風美にきびしいのかは、やがてあかされるのだが、読んでいると、なんとも理不尽なおばあちゃんだと思う。
そうしたわけで、風美は家族と暮らしていても、ひとりぼっちの心でいる子どもだ。
この物語には幼い心に映る世界がそのまま書き表されている。
たとえば、風美はジグソーパズルの白雪姫やシンデレラと話したり、こけしの訴えが聞こえたり、トイレのタイル模様にパンダくんを見つけて会話したりする。
子どもなら多少の違いはあっても、そうした経験があるのではないだろうか。
ものや現実には見えない人と成り立つ会話、その不思議が生き生きと書かれている。
ただ、子どもにとってはそうした自分を取り巻く世界は恐れを感じさせるものだ。
それを作者はきちんと書いているので読み手に幼い自分の感情を思い起こさせるのだろう。
さて、物語のはじめは「雛の夜」である。
おばあちゃんはお雛さまを飾ってくれた。
でも、近所の友だちのお雛さま飾りには黒塗り屋根の御殿がおかれていたのにそれがない。
風美は自分の雛飾りにも御殿があればいいという。
その夜、風美は一人でトイレに行く。
そのとき雛壇のある部屋に入る。
すると、お雛さまたちはなにやら旅立ちの最中。
人形たちがみな、ぞろぞろと出て行ってしまうところだった。
驚いた風美はここに居てくれとお雛さまたちに懇願する。
結局、雛たちは行くのを思いとどまってくれるのだが、夢か幻想のようではあるのだが、この場面のリアルさは見事だ。
歴史ファンタジーを書く著者だから、日本の少し前の時代の少女を書いても、ファンタジーの形式をとり入れていて、うまさを感じさせる。
その後、風美はいろいろな経験をして、少女になっていくのだが、それにつれて両親やおばあちゃん、弟との関係も少しずつ変化していく。
いちばん身近で文句をいわれっぱなしのおばあちゃんとの和解もある。
これはりかさんという人形とようこをめぐる物語だ。
りかさんは、ようこがおばあちゃんから雛祭りの贈り物としてもらった人形である。
もともとようこは何が欲しいかと聞かれたときに、「りかちゃん」が欲しいといったのだった。
それは、デパートで売られているあのスマートな、りかちゃん人形のつもりだった。
ようこは、おばあちゃんからもらえるのはりかちゃん人形だと思い込んでいた。
しかし、届いたのは黒髪で着物を着た純和式の市松人形だった。
おばあちゃんは、ようこが欲しいと思っていたのとちがう人形を考えていたのだ。
ただ、「りか」という名前が同じだった。
こんなふうに話のはじめから、意外性があるので、最初から物語に引き込まれてしまう。
おばあちゃんは、りかさんについて、気立てのいい人形だといった。
気立てがいいということは性質である。
いったい、人形に心があるのかという問いに対して、作者はありますといっているのだ。
りかさんは人形にはめずらしく気立てがよくて、恨まないという資質をもっているという。
それは、ようこが人形を待ちに待っていたのに、やって来たのはりかちゃん人形ではないことにがっかりして抱きもしなかったのに対して、むしろ、人形のりかさんはようこに同情することにも表れている。
「ようこちゃん、つらいね」と。
そして、りかさんは祈る。
すると、部屋に漂っていた「悲しい切ない」粒つぶが、急に小さくなる。
そのあと、悲しみの粒はとうとうさわやかな霧のように変わってしまうのだ。
さて、りかさんがようこの心を察したためか、翌日、ようこはりかさんを抱く気持ちになり、名前も呼んでみる。
昨夜の落胆がなくなり、むしろ自分からこの人形に接近したのだ。
りかさんの祈りはこんなふうに通じ、人の感情や状況を変えていく。
人形についてきたおばあちゃんの手紙には、こんなことも書かれていた。
『ようこちゃん、りかは縁あって、ようこちゃんにもらわれることになりました。
りかは、元の持ち主の私がいうのもなんですが、とてもいいお人形です。
それはりかの今までの持ち主たちが、りかを大事に慈しんできたからです。
ようこちゃんにも、りかを幸せにしてあげる責任があります』
人形を幸せにする「責任」。
もしかしたら、すべての人形はもらわれた子が幸せにする責任があるのかもしれない。
大事にする責任があること、それが、人が人形を持つことの意味といっているのだろうか。
このことばも物語のキーワードの一つかもしれない。
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